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追分石 [Folkloristics]

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六十里越え街道は,月山の南面を横切る山形の内陸部と海沿いを結ぶ古い道だ。物資の移動のみならず出羽三山へ続く道でもあり古くから往来する人が多かった。
また,江戸時代を挟んで戦国時代や戊辰戦争では戦略の拠点ともなった場所でもある。
人の往来から荷馬車の往来そして車による高速往来につれルートの付け替えがおこなわれてきた。

六十里越え街道の古道のうち湯殿山周辺の山岳道路は地域住民の努力で綺麗な散策路として整備されている。しかし,その他の区間は新道に吸収されたりダム湖の底になったりして当時の面影を見ることができなくなった。

写真の追い分け石は,寒河江ダム(月山湖)の畔にかろうじて水没を逃れて建っていた。寒河江市から月山に向かうとここで朝日町から伸びた道と合流する。石には左大井沢,右湯殿山・庄内の文字が刻まれている。
西川町の観光案内にはこの石の場所が示してあったので訪れてみたが,それらしい場所を探してみたが無駄な藪こぎに終わった。諦めて引き返したところR112沿いの古道入口にこの石を見つけた。近くにはダムの浸食によりこの地に移動したという説明書きがあった。歴史の証明的な石ではあるが場所が変わったことで六十里越え街道の道しるべではなくなったのが残念だ。



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